彼らがどんな大きな存在であろうとも、彼らの存在が欲しい時が私にはある。
ああ、ここ最近、ずっと伯爵リッパーサマに会えない時間が…恋しい。
まあちょっとした事情で…、ここ最近、ぬいぐるみの饗宴の伯爵のリッパーサマをお留守番にして、代わりにぬいぐるみのヨッシーちゃんを連れて行くようにしている。
これでも私はヨッシーちゃんが大好きだから、まだ、まだ平気なんだ!ああでも……、それでも恋しい時がある……。
大切な人に会える時間が減らされて、心を濁らせるような寂しい感情が増していく。
もうあまりにも耐えられなくて限界すぎて、仕事中なんかその辺りで伯爵リッパーサマに会えない苦しみをTwitterであげてしまった。
まるでゾンビみたいな文面を綴ってしまった。
ちなみにその苦しみの音のツイートなんだけど、後にいいねされてしまって俺は恥ずかしいと思ったし申し訳ないと思った。あの、なんか、めちゃくちゃ……、その……ごめんね……。こんな寂しがりやないい歳こいた子供みたいな私で……。
本当に、ヨッシーちゃんだけ連れていってほしいって、言われて決められてるからさ。なかなか連れて行けないんだよ。仕方ないことなんだけどね〜。
ああ、でも、明後日あたりは、伯爵リッパーサマも連れて行っていいからそこは大丈夫。その日は特別な事情はなーんもない。
つまり、その日なら、リッパーサマとヨッシーちゃんを両方イチャイチャできるっつー日よ。
その日が来たらまた家の時みたいに思う存分、私がリパサマとヨッちゃんと一緒にイチャイチャしちまえばいいんだ。だって私、あの子とあのお方を両方とも大切な人として愛しているもの。
それに、そんなチャンスなんて無限にあるみたいなものじゃん、まあいつか私は死ぬんだけどね。
それでもいいんだ。この世は楽しんだもの勝ちみたいなものだと私は思ってる。誰が、この画面を見ているあなたが、どう思っていようとどう述べていようと、私のこの考えは一生変わることはない。これは、私が信じることができる、私の中の考えだからね。
これは私なりに思うことだけど、人の人生は時折変えられるものもあれば中には絶対変えられないものもある。そういう時は、それはそのままでいるか否かの区切りをつけた方がマシだと思うんだよ。でもそれがもしゲームをプレイした時の思い出とかみたいに思い入れがあるものだとするなら、それはありのままとしてあっておいた方がいいことがあるのは私からしてみればあり得ると思うな!!
まあ、それはともかくとして、ここまでくると、ふとある考えを起こしちゃうんだよ。
等身大のヨッシーちゃんのぬいぐるみや等身大のリッパーサマのぬいぐるみ欲しいよね…って思っちゃったんです。
等身大ルカリオとか、ここ最近発売されるようになってきましたよね。1.2mのあのルカリオですよ。つまりあの人、120cmということですから、150cmの小さな俺からしてみたらでかい方です。
いいですよね、お値段、ゲーム機並みにでかいんですけど買う猛者な人間はいるのでしょうか。人間の面白いところとして見どころです。ふふふ。
でも、あの等身大ルカリオを見てると、私でも、等身大の好きな人のぬいぐるみさんやお人形さんが欲しいなという時があります。
なんならいつかの時でもいいので俺がつくっちゃおうかな、そう、等身大のヨッシーちゃんのぬいぐるみと、等身大のリッパーサマの人形を、つくろうかなと…。今は生半可な気持ちですけど…、気が向いた時にはいつか…ね。やろうと思えば、私はなんだってできるのだからね。
それに、ぬいぐるみや人形の作り方なんてネットや動画サイトにいくらでもあげられてるでしょう…?
あとでちょっと試しに観察してみることにしましょうか…、そう、じっくりとね。
とはいえ、そんなことをするのはまた今度ってことになりますが。
そんなこんなで、そろそろ私は早く寝ようかなって思います。
私…、明日朝早いんです…。それでは……。
……お休みなさい。