DairyDate_8744

思ったことを書き連ねます。絵日記はもう時間の都合上諦めることにしました…。申し訳ないです。

私が求める優しさ。

「やさしい」って、本当は何だったんでしょう。

人に情けをかけることがそれならば、元から優しくない、そんなバケモノの人間な私には、周りのために優しくあるべき行動をするのはもう無理かもしれません。

私は、皆さんと同じでありたかった。あなたのような優しい皆さんと楽しく過ごしたかった。

あなたたちは悪くなかったのです。

本当に悪かったのは、この、まわりくどいような不思議な喋り方を持つ私。

誰のものにもそぐわぬ、この私。

その私が、喋り方を皆と合わせろと言われた時、ゾッとしたのです。

私は私でいられなくなるのではないだろうか。…と。

ねえ、私は、どうしたかったんですか?

あなたには、私をどうしていてほしかったの?

今更になって、こんなありのままの私を受け入れてくれるの?

無理でしょうね、だって、私をわかった気になっているけど、それはウソ。

本当は、私の気持ちをわかって…理解してくれなかったじゃないですか。

私がたとえ、周りに合わせるのが苦手だから嫌だ、だからやれないって言っても、

やれ、と押し付けられるのが私には怖かったのです。

渋々やるしかなかったのです。

だけど、私は、私が周りと同じであってほしいという無理難題ができないという自己の感情に結局押しつぶされてしまい、

あなたのやれという言葉から、逃げ出して、とうには辛いという感情が爆発して、暴れ狂ってしまっていた。

あの暴走から、私には美しき絵を描けど、誰かのために貢献することはできない人間であることが、私自身が証明してしまいました。

両手の機能を使って創作を描き出すためにあるこの私の手は、私から見て、あなたを傷つけるためにある悍ましき手に変わってしまった。

「私はあなたが憎むべきバケモノ」

私がそんなことをあなたの身体に刃物で刻み付けて書いていくように傷を負わせてしまう。

そのように、私は、誰一人関わらないように一人で生きているうちに、自分自身を変えられないくらいの存在に変貌していってしまっていた…と、自覚してしまったのです。

だけどもしできることなら、それを覆すのは私であれば、私は覆したかった。

たとえ私の心は、普通に生きているあなたたちとは違う、障害を担う不良品のような心だとしても、

それでも、私はただ、私の手がけた創作が誰かのためになれるのであれば、その誰かが求めているものを創作で具現化することで、誰かの未来への道を示してあげたい。

かつて、私はそんな助けをしたかったのです。

だけど、私がやろうとしていたそれは、時が過ぎていくうちに、ありとあらゆる困難を越えられなかった私が成し遂げれなかった行為へと変わっていってしまった。

私の望みは形なき古ぼけた望みとして終わっていってしまった。

今では、もう二度と、私には誰かのために絵を描くことはできないかもしれないでしょう。

しかし、その鎖を自分の意思で噛み砕くことができたらと、今も何度も後悔してもなお望んでいるのです。

だから、その望みを行動で実現できるように、今はただゆっくりと頑張ります。


結局、障害持ちの人間というものは、あなたたちのような普通の人間が理解するには難しく、

そしてその当の本人の人間は、私の場合でありますと、大体、揺り龍から墓場まで、

もう普通の人間には戻ることはできないんです。

当然ですが、それは自分が好きでなっていいものではない。むしろ、そういう人間は、意図なく生み出されてしまうんです。

生きてきた私からしてみれば、「障害は呪いそのもの」であり、私をバケモノに仕立て上げるようなものです。

正直、いくら私が才能を持っているからって、こんなヤバい呪いがあったと気付かされてしまっていては、今生きてきてとても嬉しくないです。今も苦しいです。

お父さんと周りの助けと理解がなかったら、私は健気に生きてこれなかったでしょうね。


人間のガワを被ったバケモノであり、一生分の呪いを持つバケモノのような心を持ったような人間。

それでこそが、障害者という存在です。

そして、結局のところ、私がその人の一人でもあるのです。

私は今、広汎性発達障害や多少のパニック障害にとても苦しまされながら、障害者手帳を片手に生きています。(診断済み)

私は今、皆さんからしてみれば、私がうわ言のようにしゃべっているように見えるでしょう?

私がコミュニケーションという苦手なことから逃げ続け、自己の意思で人を避け過ぎた末路により、このような不思議な喋り方におちてしまいました。

要するに私には、みんなとコミュニケーションをとり、説明を行うことが苦手だったんです。

私には、他人の気持ちを理解し、思いやることが苦手だったんです。

それ故に、私は、集団行動が苦手だったんです。

結局のところ、私は、本当は他人の気持ちが理解することはできないまま生きてしまっているのです。

それでも、ひとりぼっちでも、こんな私を少なからずとも理解してくれると信じて、時には誰かに頼ろうとしました。

この人なら、迷惑かけても多少はいいよね…と。


これからもあなたには、たくさんの迷惑をかけるでしょう。

私が普通の人間とは違うような喋り方で、あなたを呆れさせてしまうでしょう。

意図せず、ヨッシーちゃんやリッパーサマの話ばかりして、あなたを困らせてしまうでしょう。

自分のことや愚痴、わがままばかり語ってしまうことで、あなたを困らせてしまうでしょう。


しかし、それでも、私の話を、きちんと聞いてくれる皆さんが、本当にだいすきです。

私を理解してくれなくたっていい、私を信じなくたっていい。

あるいは、「それなら、こうするといい」という提案を持って明確に伝えたっていい。

相談なんてものは、ある人が悩みを伝えて、もう一人はその悩みを聞いて、そこからどうすればいいか、方法を考えていけばいいじゃないですか。

普通に、それでいいんです。

解決策が見つからない時は時間かけたっていいんです。

時間は有限とはいえ、まだまだたくさんあるんですから。


ですが、私があなたに望んでいることは、

これからも、こんなバケモノの私でよかったら、

どうかよかったら、心の余裕が続く限りは、

私の話を最後まで聞いてください。

私の意思を汲み取って、読んであげて、理解してください。


それだけで、いいんです。

私への優しさは、それだけで十分です。

たとえ、私が他人の気持ちを理解できない、バケモノだったとしても……。


そして…、いつもこんな私なんかのくだらない話を聞いてくれる皆さんには、本当に…ありがとうございます。

これからも、どうか、時間と余裕がある時には、もしよかったら、私の話にでも付き合ってくださいね。


……おやすみなさい。