DairyDate_8744

思ったことを書き連ねます。絵日記はもう時間の都合上諦めることにしました…。申し訳ないです。

悪夢をその目で確かめる度に、私は痛感する。

第五人格、度々とんでもないストーリーや情報が舞い込んできますね。

そのおかげからか、今とても第五人格が楽しい。

最近なんかじゃもう最高難易度の虚妄をクリアできてしまいましたし、新ハンター「悪夢」を荘園内に迎え入れることができましたからね。

そういうわけで、いずれはサバイバーに限らずたまにはハンターをも、勇気出してやれるようになったらと、いつも思うけどほとんどできない。

俺は真の弱虫だ。

でもここ最近は、運営も引き分けだけで推理の径に必要なダイスを貯めるためのポイントをガッツリもらえるようにしてほしいという意見を見ていてくれてるらしいし、

もし実装してくれたら、戻ってきてみようかな。

まあ、戻る前に気が向いたら戻るかもしれない。

戻る時は、俺が戻れるなら戻れる、という気分だけだ。

この俺の感情は、誰のものにもコントロールされることはできない。そう、そこの画面を見ているあなたも。

コントロールすることができるなら、お父さんか、ぬいぐるみのヨッシーちゃんやリッパーサマくらいかな。

わからなくてもいい。俺は俺なりに一人でやれるようにやってるだけだ。

しかし時には、第五人格をやってる上でTwitter2(避難所)のディスコードサーバーにも入った上でTwitterをやっていると、ここ最近第五人格をやる人存在の言葉が全てにちくちくと見えてしまうのはどうしてでしょうか。

特に学生さんのTwitterアカウントや学生さんと思われる人間のTwitterアカウントの口の悪さとモラルの無さは、もう時に文面でしかこれはちくちくだと読み取れるのも無理ないくらい、異常な人もいますしそうでもない人もいます。

若いから仕方ない。というより、あれは何も知らぬ小さな子供だから仕方ない。それが何であるのか、

学生だろうが関係ない。

大人だろうが関係ない。

仮初の姿だろうが関係ない。

言い方だろうが関係ない。

全ては本当の自分自身の心と考えでしか、それで言葉を考え有無構わず綴ることしかできないのと同じように、直結できない。

そう、全ては彼らはゲームで一瞬のストレスと不快といった自分の内なる苦しみや痛みの中の何かを晴らすため、そして、勝利という虚無や娯楽を満たすための欲といった自分が手に入れられて楽しく嬉しいものの何かを満たすためにゲームをやっている。

ゲームこそが我々の気分安定薬とも見ても、それは確かとも言える。

中国なんかじゃ、あれを蔑むように精神アヘン呼ばわりしてた時ありましたからね。

しかし、対人ゲームをやりにやり込むと、はじめた当時は、そのキャラはただなんでもそういう風としか見えてないのに、今となってはそのキャラが強いから他人にとってかっこいいと親しまれてるからという色んな理由で憎しみの対象として見えるようになってしまう時があると思います。

そういう時こそが、良くも悪くも強い自分が生まれるのかなと思います。

良い意味としていうのであれば、どんな時でも気軽に楽しく頑張ろう!とかじゃあ、たまにはそっちも使ってみようかな。とかあの人はそのキャラに対しての思い入れが強いし、そういう人を見ているとこちらも魅力が伝わってくるなとか、そういうのになるので、そんなになるのならまだ良いのですが、

悪い意味としていうのであれば、暴力的です。そして、自分と同じゲームを遊ぶ人を見下し、皮肉なことを言ってくる、まるで言葉をナイフに差し替えて片手でぶん回しているような人間のことです。最悪その人がトラウマになり、ゲームをやめようという決意を持たされて離れていってしまうのです。

人の感情は、人の行動により、さまざまな方向へと揺さぶることができます。頑張ればたくさんの人を、良い道か悪い道へ揺さぶることは可能です。

しかし、俺たちはこのまま悪の道に走ったまま、自分だけが強くあれば、それで良いのでしょうか?

自分だけが強かったら、他人は幸せだと思いますか?

私は、あなたが幸せならそれで良いと思うけどそれは流石にどうかと思うよ〜?ゲームをやってて良いと思うけど、それ含めてもっとたくさんの時間をゆっくり使って考えて、のんびり生きた方が幸せだと思うな〜。

というのが、私の中の答えです。

それでは、明日もまた、1日頑張りますかね。

……お休みなさい。