私の好きなものは、私を苦しみから守ってくれる。
今日は不安だらけの日々だった。
自分自身が転んで足の痛みを受けてしまっていた。
手が痛むような軽いレベルで済んだが、俺が転んだせいで抱っこしていたぬいぐるみの伯爵リッパーサマに傷を負わせてしまったと思うとゾッとしていられなかった。
痛いに限らず、感情的に怖かった、息が切れそうだった。気がおかしくなりそうだった。
まるで戦争の様子を見ているようだった。
転んだだけでそんな感情を私につけ込まれるとは思っていなかった。
それから、しばらく休んで仕事に取り掛かるようにかったが、
痛みとやらは何なのだろうと、これを機に考えるようになる。
誰かにとっては、痛みは現実逃避と同じように癒しになるだろうが、
今の私にとっては、それが怖いものだと思えるようになる。
もうぬいぐるみのリッパーサマとぬいぐるみのヨッシーちゃんが私のそばにいなければ、注射なんざ打たれないし、私の血を医者に薬品研究という目的で誰かに与えることはできないくらいだ。
人は考えによって、それぞれの自分なりの様々な価値観と意見等が伴う。
だが、どうして、みんながこんなに必死に苦しんで生きている中、私ただ一人、平然と生きていられるのか、私にはわからないんだ。
私には、その苦しみを遠ざけるほど、心から愛せる好きなものと楽しいもの、大切な存在や心から将来なりたかった夢がある。
それらが私を守ってくれているんだとしたら、
私が受けるべき痛みをあなたたちが受けるべきではないだろう、と、訴えたい。
でも、私は素直に伝えることができない…。
ひっそりと彼らが受け背負う間に、私もまたどこかで、ひっそりと何かを受け背負うんだろう…。
でも、もし苦しいと感じたら、ぬいぐるみに声をかける。そう、ヨッシーちゃんとリッパーサマに。
今の私への治療法、私にとってはそれくらいしかないから。
画面を見ているあなたたちにとっては、変わった方法だけど、意外なことにこれが効果あるんだよな。
だけど、話しかけるのもあまり宜しくはない、なぜなら私はあのままだと仕事ではぬいぐるみ以外すがれるもの、なくなるのだから。
そういうわけで、ヨッシーちゃんとリッパーサマは、仕事中の最後の切り札という相談役の存在としての一人としてとっておくとしよう。
ああ、ヨッシーちゃんとリッパーサマのこと考えてたら、また頑張れるようになった。
ヨッシーちゃんとリッパーサマのことになると、楽しくなって幸せになれてしまうこんな私は、とっても愚直な真面目で愚かな人かもしれない。
それでも、いいんだ。いい。
それはそういう風に自分を蔑むものではなく、本当は自分が情熱を持って接する人間であるものだと誇るべきものなのかもしれないと、私にはそう感じたから。
明日ものんびり頑張ろうか。
……お休みなさい。