あのお方から与えてくれるものは、私をどこまでも楽しませてくれる。
明後日あたりで、第五人格の三周目のイベントが終わりますね。
それと同時に、新たなる情報が色々と舞い込んできています。
リッパーサマの調整に関しては、もうしばらくは来ないと公式が散々質問で答えてしまっているため、今は彼に関しては、気が向いた時にリッパーサマと付き合っていく形で、普通のマルチで気ままにリッパーサマで遊ぶなりすることにしましたが、
正直他人がどうなっていようが、グッズのことで俺は幸せになりつつもお腹いっぱいです。するとそこに、四周目にもストーリーがある、彼の性格と生き様に関するイベント、彼のSR衣装(最悪ガチャUR衣装…)がいつかやってくると踏まえて、俺がどうなるか考えてください。
そうなると、あまりの情報量の多さに俺は「おえっ、げほげほ」ってなります。俺にとっては美味しいんだけどね。第五人格くん。
まぁ元々がホラー要素とミステリー要素含んだゲームでもあるのがわかってるんだけど、突然のサバイバルゲーム要素や新要素ぶっこまれで鬱要素が倍以上になりすぎたり、これは後からそういう系のことがリッパーサマにもやってくるとなると、これからが楽しみであると同時に、それではその楽しみを第五人格を楽しむお客様の一人である私はきちんと楽しめられるのかという不安がやってくるわけです。
とはいえ、楽しめるものはきちんとどれだけヤバいものでも、きちんと与えられた料理は美味しく残さず食べる私の義務と同じように、最後まで楽しみたいんです。
そういう感じで、これのおかげで俺は広汎性発達障害を抱えている身さながら、時に鬱になったりということは、リッパーサマやヨッシーちゃんのおかげで全くサラサラないんですけどね。
マジでどんだけ俺は、両親とヨッシーちゃんとリッパーサマに飯を食わせていただいているんだろう…。いや…、自炊といった何の生存能力や何の価値も持たない私が生きているなど…。
と思っていたのですが、それらを取っ払ったとしても、まだ諦めきれていなかったある夢が私の心を動かす灯火となるように、結局生存意思を高めてしまうんです。どうしようもないよね。だけど、どうしようもなくたっていいんだ。
2025年11月21日、その夢はいつか光るようになる。
私がありとあらゆることを学んでこなすことで数多の経験値を集めて、いつか私の技能力と表現力と想像力がレベル100になった時にはね。
だから私は、その余裕を四年も過ごしてるんです。何がどうであれ今仕事を探しながらも。
今仕事訓練に通っていきながらも、未だに道が見つからないんですよ。ただ、俺は作業をやってるってだけで。工作とかイラストとか、そういったものづくり系が得意なんですけど、思い当たる場所なんてまだ一箇所しか見つかってなくって。
余裕があったらガンガン伝えたいと思います。
仕事が見つかるかどうかのエンディング分岐を決めつけるチャンスなぞ一回限りしかない。
我々、人間の人生の体験も、人間が形あるものである以上、有限かつ一回限りであるように。
NieRとかやったことある方なら多分わかると思うんですけど、NieR系の作品だと、特定エンドでセーブデータが丸ごと消えてしまうじゃないですか。
多分私はそういった人生を送ってるんです。
さすがに法律の中で生きている人間である以上、最近の第五人格やNieR系によくありがちな殺し合いみたいなものとかはしませんがね。
だけど、こんなデスゲームみたいな物騒なものであろうとも、そういうゲームを電子媒体としてスリリングな娯楽を味わえるだけでも、私はそれを映画を見るような感覚として楽しみながら、仕事を頑張って生きていくことができるんです。
それこそが自分にとって平和な時間を今こうして私は過ごせているのではないでしょうか。
もうずっとこんな平穏で普通な時間が続いてくれたら嬉しいんですが。
何かを楽しむくらいなら、形や手段は関係ないのかもしれませんね。
それでは、その明日が平穏な時間の味になることをお祈りして、今日はここまで休みましょうか。
……お休みなさい。