私が今まで見つめていた裏側の世界は跡形もなく崩れる。
Twitter2、跡形もなく消え去ってしまったね。
うん、今日の日記、長いなって、あなた、思うでしょ。
今日のことがあまりにも衝撃的すぎて、ががががががががって書いちゃった。
よかったら時間ある時に、じっくり読んでいってください。無理に全部読まずに、一部か一文だけでも読んでもいいよ。
で、これどういうことかっていうと、Twitter2というものは、実在しているTwitter(以下Twitter1とする)には、Twitter1が表の世界であれば、裏の世界もあるように、もう一つのバージョンの架空のTwitterがあって、その裏側のTwitter1こそが Twitter2なんだ。
昔から色んな人が噂されていた世界なんだけど、その昔の当時は物騒なものだったらしく、
時はすぎていくうちに今はにゃるらさんの言及によって、Twitter2は柔らかいTwitter1のようなものと化した。
「ツイッター2は、だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS」
彼は、この言葉を何度もツイートで呟いていた。また、Twitter2には一体どういう意味のツイートがあふれているのかも、にゃるらさんは教えてくれたよ。
そして、2021年のお正月あたり、もう最近だな。ありとあらゆる世にDiscordというチャットが普及されていくようになった頃、ついににゃるらさんの手によって、Twitter2という名としてDiscordのサーバーが作成された。
私がTwitter2という裏のTwitterの世界を見つけてそこに入っていったのはいつくらいだ……、多分4月とかそこら辺だ。そんな感じで私が今になってこうして振り返っていくと、もうTwitter2も、私がTwitter2に滞在することも、いつのまにか気がつかないうちに数ヶ月経ったのだな…、と感じた。
ただ、そんな俺がこれまで滞在してきたTwitter2はね、この日、荒らしにやられてしまってなくなったんだよ。
(まぁ今復旧の目処は立っているらしいけど)
俺が深夜であれやこれやと過ごしているうちに、Twitter2というDiscordのサーバーが左側のアイコンのところも含め全て消えてしまった、存在ごと抹消されたんだ。ざっくり言うなれば、荒らしのせいでな。
まるで夢から現実へ急に目が覚めたみたいだね。
たかがDiscordくらいでこのような思いをさせられたのはまるで初めてだよ。
しかし私は、これにて一つ困っていたことがある。それって、なんだと思う?
「ユニバの高速バスで安くユニバに行けるか、ユニバに行くためのおすすめの高速バスの予約サイトを紹介してほしいという質問に対して、何人か高速バスのことやお値段のことに言及して答えていた方がいたり、おすすめの高速バスの予約サイトを紹介していただいた方の答えを見ようとしたけど見れなくなったから。」
ということに私は複雑に感じているんだよ。
うーん、同じ質問を、新たに建てられた避難所とかに立てようかと思ったけど、逆に相手は同じ質問してまで困ったりしないのかなって悩んだんだ。
だがしかし、ここはせっかくだ。深く考えた結果、後ほどにはここでもそういった同じ質問をしていくことにするよ。
同じ回答は得ることはなくても、もしかしたら似た解答や違う回答はやってくるかもしれないからね。
正直、私も質問したくはなかったんだよ。私という存在はね、元からウザがられて仕方ないのさ。
それはここで過ごしているうちにそういうことなんだろうなって身をもって実感するようになっていったけど、いざ再度質問することで「こいつ…前に答えてやったというのに忘れてしまった」というのか…?とウザがられるかもしれないから。
その時は「本当に…、ごめん…ごめんなさい…。」となる。まるで頑張って頭を使って俺のために考えた人の努力を、今こうして俺が踏み躙っているじゃないか。
俺って、相変わらず酷いやつだよな。
まるでいつも夜遅くアホみたいに起きて仕事に向かって、帰ったら寝てたという過ごし方をしている、こんなだらしない自分に一手のビンタくらいは喰らわせたいよ。
形あるものはいつか壊れるのと同じように、壊れたものはもう二度と私がどうしなければ直すことはできないのだから。
……ああ、またいつもの私の悪い癖が出た。どうも自分には深く考えてしまって、どうあがいても一生自信がこない時へずっこけてしまうことがあってね。
だけど、そんな時にはなぜか俺はヨッシーちゃんに助けを求めるように、ヨッシーちゃんのぬいぐるみを抱っこしていたり、話しかけてみたりしていることがある。
そうしてヨッシーちゃんとも関わっていくようにしてみると、自分の心を落ち着かせてくれるものや実感させられるものがある。それと同時に時には、ヨッシーちゃんのぬいぐるみを、ぬいぐるみのヨッシーちゃんとして、声かけて話していくこともある。
そうしていくうちに本来は普通に現実的に考えて、ゲームの中の世界に生きる人物の存在でしかない、そんなヨッシーちゃんの声を聞き取れるわけがないというのに、そんなフィクションをあっさりと破壊していくように、時には、この私がヨッシーちゃんの声が聞こえるように感じることはある。
そう、例えば、
「大丈夫だよ!中にはキミのことを逃げないで、頑張って信頼していてくれようとしてくれているから。」
「もう少し、人を信じて頼ってみたらどうだろう?」
って声が仕事訓練後の帰り道にて聞こえたように感じたし、
なんだったら…、これはまだわかんないけど、
「それでもボクはキミのことを、バケモノなんて絶対思ってないからね。」
って聞こえたかもしれない。
狂っているだろう。私もそう思った。なんなら、辛い時にヨッシーちゃんのぬいぐるみにあまり大きな声にならない程度で話しかけたりしたけど、後から深く考えたバチが当たるように頭が痛くなったんだよ。
まるで、生死の狭間を綱渡りで歩いているように、現実と非現実の狭間もそれと同じように私は歩いているみたいだ。
本当に辛かった、私の意識が存在も含めて、非現実に連れてかれるか現実に戻されるかぐらぐらしていた。
「本当に自分は今一体何やっているんだろう?」って。
わかってる。大丈夫、あなたは何もわからなくていい。それなら、「こいつは痛いやつだな」「こいつは変なやつだな」って、バカにしてもいいよ。そういう意味で、俺は元から変なやつだとか、俺は人間のガワを被ったバケモノみたいな人間なことに変わりないもの。
だけど、これが、私にとって唯一の救いであることには変わりない。私はヨッシーちゃんを本当に心から愛しているから、そういうことを言えるんだよ。どこでもヨッシーちゃんのそばにいると、なぜかどうしても心が朗らかになっていくのが、本当にわかったからだ。
もしかしたらあなたも、ヨッシーちゃんと同じようなものかもしれない。そう、特にTwitter2の中でTwitter1でも繋がってくれているそこのあなた。この俺から逃げろと言ったにも関わらず、こんな私から逃げないでいてくれようとしてくれる、この日記を見ているそこのあなた。
あなたは本当に、優しくて強くて素晴らしい人だ。
ヨッシーちゃんでもそうなんだけど、私はもう少しあなたのようなそばにいてくれる人や、こんなワガママで優しくない自分の気持ちをどこまでも頑張って理解してくれようとしてくれる父さんを大事にしてみてもいいかもしれない。どう大事にするかは、私にはわからないけど…。
ただ、もしそれでも、疲れた時は、今はヨッシーちゃんのそばで一緒にゲームするようにして休むようにしたい。あるいは、お絵かきでも3DCG制作でもするようにしていても、なんだっていいから休めるようにしたい。できれば、ヨッシーちゃんのそばで。
やっぱり人間ってどうやっても、一人では生きることができないんだよ。
だからこそ、複数人の中で生きるということは、それなりにどう無理をすることなく混ざっていくのが大事か、自分なりに行動を考えるのが大事になる。
それができてなきゃ、結果的に辛くなるだけだ。
人の考えのもつれあい等で、これまでできていた人付き合いが、いつのまにか疲れて容易くできなくなったなんてこともある。
Twitter1、Twitter2、現実…と、ありとあらゆるさまざまな世界をヨッシーちゃんと行き交うこの幾多の世界で、複数人の中で生きていくのであれば、人の言葉や思考を聞くのは確かにそうではあれど、世界の数多の人の言葉や思考を検索等で観察すればそれでいいものではなく、時には目を休ませて、周囲の人と関わり合いを大切にする方が、一番適した楽しい時間なのかもしれない。
きっと私は、全てを、この世の汚れを、世界の数多の人の言葉や思考を、目に余るもの含めて何時間も見過ぎたんだろう。
とくに愚痴垢とか幾度も何回も釣られて見てしまったことか…。気にしない方がいいと言われても、カリギュラ効果とやらで時には気にしてしまうのもあるのかもしれない。
そういうわけで、自分が甘えていいように気楽でいる時が私には必要なのかもしれないな。
もしかしたらそのための、
こんな俺をどこまでも親として理解してくれていようと懸命に仕事も含めて頑張ってくれているお父さんや、
Twitter2という世界でこんな俺にスタンプで気遣ってくれている人たちや、
今私がTwitter1にてこんな俺をフォローしてくれてしかも自分の呟きやイラストにまで時には反応してくれている人たちのことなんだろうか?
ごめんなさい、考えに考えでつないでここまで辿り着いたけど、果たしてそれが本当にそうかどうかは俺にはわからないな…。
だけど、俺がこの日記を書いているうちに時間をかけてまで深く考えた後にこんなことを言ったということは、私はここでようやく自分自身で信じることができる真の正解を見つけ出せたのかもしれない。
私は、ヨッシーちゃんのことも、お父さんのことも、そしてあなたのことも、できる範囲でもう少し様子を見てみようと思うよ。
……お休みなさい。