あなたがいるから私の心は幸せになれる。
ようやく、ようやくだ、マリカーツアー!!
マリカーツアーにて、2021のハロウィンツアーの全ツアー終わらせることができたぞ〜〜〜!!!!
リーグ対象のカメックツアーも頑張ったし、あとこれで1日分くらい経過しちゃえばもしかしたら青いヨッシーちゃんがやってくる……!?
やってくるかもしれないね!?
そんなこんなでマリカーツアー、最近では、ヨッシーちゃんがいるからこそ、ヨッシーちゃんのお写真を撮るために楽しむゲームになっちゃってます。
だがそれでいいんだ!!それで!!
なんだか最近、俺が好きなゲームをやっていると、まるで童心に戻ったかのように、遊園地に行っているかのような気分になれてしまいます。
きっと、私って目の前にある仕事や生活の時間に勤しんでばかりで、他に多くのことに目を向けてこなかったのかな、って思ってます。
いや、いつも通りだしこればかりはどうしようもないんですけど…。
なんならせいぜい楽しめることは唯一、ヨッシーちゃんたちのことを考えるのはもちろんのこと、それ含め、ゲームとお絵描きってくらいしかありませんよね?
絵を描くことと言いますと、二次創作にて絵を描くことにあたって重要なのは、もちろんキャラを掴むことですが、キャラを掴むためには、例えばヨッシーちゃんなら、ヨッシーちゃんのいるゲームをやるべきです。
そう!
ヨッシークラフトワールド、
とかでも。
ヨッシーちゃんがいるなら、
マリオの作品でもヨッシーの作品でもなーんでも。
もう一目瞭然ですね。
二次創作において大事なことは、自由に楽しく描くのはもちろんのことなんですけど、まずは迷ったらそのキャラが登場してる作品を見たり遊んだり…、その作品の人物と世界を人間の精神と感情と感覚で味わってみて…、そしてその次にその世界からやっと掴み取れたキャラクターの設定、個性、性格、好き嫌い…、そういったそのキャラクターの存在のイメージを大事にすべきなんじゃないか。……って私はそう思うんですよね。
とはいえ、皆さん、もしヨッシーちゃんのゲームやったとして、ヨッシーちゃんの創作するにしても、ヨッシーちゃんをどう描くかなんて人それぞれじゃないですか。
そこは仕方ない、だって、絵は人の心や存在、世界を映し出す鏡や扉のような存在そのものだと、私はそう思っていますから。
ちょっとわかりづらいこと書いちゃったんですけど、ボーカロイドの創作にて普段、初音ミクさんをよく描いたりする人たちなら、なんとなくわかるんじゃないですかね…?
こう…ミクさんも身長とか体重とか以外あんま事細かく書かれてなくて設定最小限みたいだし、ヨッシーちゃんも設定最小限みたいなかんじだし…、ヨッシーちゃんの解釈は人それぞれ…的な…。
だって、ヨッシーちゃん、
スーパードラゴンは自分の自称だったりするし、
それでも場合によっては火を吹いたり地震を起こしたり白い羽根が背中に生えてばっさばっさと空は飛べちゃうんだし、
赤ん坊のマリオさんのこと面倒見しつつ彼を背中に乗せて、ルイージを助けるのはもちろんのこと、コウノドリに今度こそマリオさんとルイージさん双子の兄弟まとめて送ってもらうためにそれぞれみんなで変わりばんこ形式で冒険を頑張ったり、
今マリオさんが大人になっててもマリオさんを背中に乗せて彼の冒険のお手伝いをしたり、
後は大体よく食べるのが好きで、
フルーツとかクッキーとか甘いものが好きだしよく食べるのが好きだし、
逆に唐辛子は苦手だし、
高速で走るのと卵を生み出すのとヒップドロップと長い舌で敵や食べ物を丸ごと食べるのが得意だし、
なんやかんやでカメ一族か恐竜かどうかわからん子だけど、
それでも優しくてのんびり屋さんな子あること以外、
これ以上の細かな設定はあんまりないじゃないですか。
(…今ヨッシーちゃんのことでたくさん思い出して書き出しまくったけどこれだけ振り返ると意外と設定たくさんあるもんだなって思っちゃいました。矛盾させてしまって申し訳ございません。
やっぱりヨッシーちゃん、不思議ちゃんだな〜。
とはいえ、俺視点の中でこれまでにヨッシーちゃんのことをゲームで見てきたことをただ書いただけなんで一部見落としとかあるかもしれませんが。)
いかにも、そこの苗を植える…より、細かくイメージを付けていくのは、あなたたち…否、私たち次第みたいな感じですね。
それこそが、解釈、というのかな…。
なんとなくこう考えると、俺らよく二次創作とかするオタクな人間たちが解釈合致!解釈違い!とどうこう騒ぐ理由がざっとわかった気がしますね…。
それと同時に、この退屈な時間の中、ヨッシーちゃんがいるからこそ、どれだけ人生が暗くても、ヨッシーちゃんに熱烈になれるその熱い情熱たる感情と想いは、よくぞここまで失われなかったなって、私は誇りに思います。
ヨッシーちゃんのゲームをやる、ヨッシーちゃんの創作をする、時にはヨッシーちゃんのグッズを集めたり、ぬいぐるみのヨッシーちゃんを購入して可愛がる…とかで、もしかしたら、ヨッシーちゃんが自分に、ヨッシーちゃんと一緒に楽しい人生を送るサイクルのようなライフをおすすめされているかもしれません。
ああ、いやごめん、これはマジ、絶対マジだね。マジですよ。
おすすめされているかもしれません。じゃなくて、おすすめされているんですよ。
だって、自分の頭の中でヨッシーちゃんのこといっぱいになると、自分が絶対楽しそうな顔してるんだって、私にはわかりますもの。
ヨッシーちゃんのゲームをやっていたり、ヨッシーちゃんの創作をしていたり、ぬいぐるみのヨッシーちゃんを可愛がってたりしていると、本来そこにいないんだろうけど、自分には、ヨッシーちゃんがそこに…、自分のそばにいてくれるように見える、まるで自分がヨッシーちゃんと一緒に生きているように…、そんな風に幸せそうに感じ取れてしまうんです。
ヨッシーちゃんが大好きな私だからこそ、この発言は真です。
私が今でもこんな風に、きっと…、他人にとっては変だって思われるかもしれないけど、それでもとっても楽しくてハッピーな気持ちになれるのは、
きっと、ヨッシーちゃんのおかげ…なのかな、って思ってます。
だからこそ、ヨッシーちゃんがいるうちは、とうに壊れてしまった俺のこの世の人生も、まだまだ捨てたものではありません…。
何か、こまったり、くるしいことあったら、時には今は、ヨッシーちゃんとどうやって一緒に過ごすかについてを専念に考えるのもいいのかもなぁと思います。
そんなこんなで…、私、ヨッシーちゃんについて、色々と語ってしまいましたね。
ええ、この愛は、私にとって…本物ですよ。
好きという感情があるからこそ、この愛は確かな形の想いとして生まれるんです。
その想いは、自分にとって生きる希望へとつながる。
これからもこの想いを…、ヨッシーちゃんへの想いを、私はなくさないように生きていこうと思います。
……お休みなさい。