DairyDate_8744

思ったことを書き連ねます。絵日記はもう時間の都合上諦めることにしました…。申し訳ないです。

私はどんな行動をするべきか?

ほんとにマジで寝込んでしまっていた。

やっぱり強迫性にとりつかれると、寝る前に意味不明な行動をしなければ安心できずに寝れなくなる。

では、その行動とは?例えば、私の場合なら、

明日になれば、すーはー。と一息。

ヘッドホン外して、すーはー。と一息。

そしてヘッドホン付け直して、すーはー。と一息。

その次に1つの画面から、スマホのホーム画面に戻して真っ暗にしてから、すーはー。と一息。

次にスマホを起動して、3つの画面の起動を切ってからまたホーム画面に戻して、すーはー。と一息。

そして、スマホの画面を真っ暗にして、すーはー。と一息。

またスマホの画面を起動したら、すーはー。と一息。

その次に、両手で慎重に掴んで、他アプリの起動の際にヘッドホンを外す。

これで安心してのんびりできる。

とんでもない行動ルーティンだとは思う。俺もそう思った、だが、実際こうしないと、安心して行動できるわけがないのだ。

私が強迫性に取り憑かれてしまっている、と思っている理由がそういうことだ。

一体どうしてこうなったのか?

あるVtuber計画のスケジュールを私が作ってしまっていたせいで、私はいつのまにかファイルは毎日起動して制作進めて保存、というすべき所作が頭の中に植え付けられてしまっていた。

そしてその毎日のルーティンが崩れた時、私の気持ちは、Vtuber計画を諦めるところまで追い込まれて落ち込むことになってしまった。

まさか、自分の強迫性のせいで、制作をやめることになるなんて……と俺は思ってなかった。

いよいよ、俺はそういう人間になってしまったんだなぁと思っている。

だが、この気持ちに落ち込むのは、私にはまだ早いんじゃないかな?と思う。

むしろそんな人間に陥ってしまうことで落ち込んでしまうなら、じゃあ、次はどうするべきか?

誰かに依頼を受けてもらって、スケジュールの計画を作った方がいいかもしれないと私は考えていた。

そういうわけで、相談とかの取り込みが終わり次第…、はやくても、うまくいけば11月21日くらいには…、絵の修行という目論みでイラストの依頼をはじめつつ…、受け付ける際に計画書やスケジュールの制作を細かく決めていこうと思う。

自分を安定させるためならば、他人の依頼も、とりあえず絵に限らず自分の心の修行という前提として、行っていくべきなのではないのか?と俺はそう考えた。

まあ、時には失敗したとしても、私自身でなんとか落ち着いてリカバリーを取り戻してみせよう。

とりあえず何があっても、自分と他人のためにどうすればこの世の時間の中うまく行動できるか、

そして時には、その行動をしたくてもすることができないと切り捨てる必要性がある行動はどこか、

そういった、自分の行動の取捨選択もこれからうまく考えないといけなさそうだ。

そうすれば、私の心はうまく安定して稼働する。

この心の強迫性は一生解くのが難しくとも、そんな俺の心を、私の仕事としてのルーティンとして利用していけばいい。

俺の心は、私の心そのものだから。

……お休みなさい。